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2004/11/07

新潟県中越地震(2)

新潟県中越地震の発生から2週間。
大きな被害を受けた新潟県小千谷市周辺では、まだ多くの方々が避難所生活を続けています。
厳しい寒さを伴った積雪シーズンに差しかかることもあって、身体や心への疲労の蓄積がたいへん心配されるところです。

ところで、11月6日付の毎日新聞夕刊(私の自宅では東京本社版の第3版)に、記事「新潟県中越地震(1)」でお伝えした和田仰陽さんのことが取り上げられています。

和田さんとは、2002年(平成14年)の9月に上越新幹線浦佐駅近くの大和町池田記念美術館で開かれた肖像画展で、初めてお会いしました(2002年9月23日)。
同じく11月(2002年11月2日~3日)には、厚かましくも小千谷市の和田さん宅に1泊させていただいて、同じ「聴覚障害者」「中途失聴者」として、夜遅くまでいろいろとお話をうかがっています。

毎日新聞夕刊の記事は、以下のとおりです。

中越地震で被災 聴覚障害の画家 和田さん
 「体験、表現したい」
  「再起」胸にテント生活

新潟県小千谷市で生まれ育った肖像画家、和田仰陽さん(66)は耳が聞こえない。失業や長男の死など、度重なる試練を乗り越えて国際的な名声を得た。その和田さんを地震が直撃した。自宅アトリエは壊れ、避難所での不自由なテント生活が続く。それでも「体験したことを表現したい」と意欲を奮い立たせる。
【奥村隆、写真も】

 目の前がグラグラと揺れ、棚から食器やグラスが飛び出した。同じ聴覚障害者の妻春美さん(72)と2人で肩につかまり合い、食卓の下にもぐった。長女の奈緒美さん(36)が外出先から帰宅すると、陶器やガラス片が散乱し、足の踏み場もなかった。奈緒美さんは「家がつぶれたら、だれかが助けに来ても気づかない。気が気でなかった」と振り返る。
 3歳のころ高熱で意識不明になり、10日間生死の境をさまよった。目覚めたら、それまで自宅近くの寺から聞こえていたハトの鳴き声が消えていた。
 中学校卒業後、土木作業員をしながら通信教育で絵を学んだ。長野県の画家に師事した後、小千谷に戻ってマネキン製造会社で人形のメーク担当に。だが会社は倒産。そんな中でも、肖像画の依頼は徐々に増えた。
 92年に長男の会社員、浩樹さん(当時23歳)が交通事故死した。筆をもつ気力を失い、5年が過ぎた。ふと、奈緒美さんの成人式の写真を引っ張り出し、描いてみた。この絵がイタリアの美術展で入賞。創作意欲がよみがえった。欧州各国の展覧会で入賞が続いた。昨年は中国から「世界芸術名人」の称号を贈られた。
 夫妻はともに「普通の人を相手にしているから」と手話を使わない。読唇術と、聴力を失った3歳当時の言語能力を徹底した訓練で鍛え、ほぼ完全な発声をこなす。
 地震について「私にはゴーッという音がない。動きだけ。みなさんは倍ほど恐怖を感じるんじゃないかな」と語る和田さん。町内会の人とともに食事する避難所生活を「地震のおかげで分かり合えた」と前向きに受け止めようと努める。
 全村避難した山古志村の長島忠美村長(53)が男泣きする姿に打たれた。「昭和の男」の記録を描きたいと、新聞に載った村長の写真を切り抜いている。
 「また初めから裸一貫でやり直しましょう」と春美さん。和田さんは「浩樹が亡くなったのに比べたら、これくらいのこと」とうなずいた。

新聞記事にもありますが、和田さんはいろいろとたいへんなご苦労を重ねてきたようです。
しかし、お会いしたときにも感じたのですが、和田さんも奥さまの春美さんも、そういったご苦労を微塵にも感じさせない、非常に強い意志をお持ちの方。そのパワーはいったいどこから湧き出てくるのかと、ほんとうに教えられることが多々あります。
ただ、息子さんの浩樹さんを亡くされたときのショックはとても大きかったようで、ご自宅に飾られていた浩樹さんの肖像画には、和田さんの深い愛情とともに、悔しさややり切れなさのようなものを感じさせられました。

一方、娘さんの奈緒美さんとは、私としゃろおむ(妻)の結婚式に来ていただいて以来、しゃろおむの高校時代のクラス会(高校は山形県西置賜郡小国町。クラス会もここで行なわれた。)に私が同伴したときも含めて、4回ほどお会いしています。
奈緒美さんはとても活動的な方で、また、ご両親へ深い愛情を持って接している姿には感動させられました。
ちなみに、和田さんの描かれた奈緒美さんの成人式のときの肖像画はとても感動的で、これを見て、私も両親の肖像画を和田さんに描いていただきたい、と思ったのでした。

さて。
私の父方の実家は新潟県十日町市にありますが、やっと連絡が取れ、「慢性腎不全による人工透析を週数回受けているので、地震後はとても大変。長岡まで数時間かけて透析に通っている。疲れがひどい。」とのことでした。
実は、私の父も同じ病気で人工透析を受けている状態なのですが、新潟県中越地震のようなことが首都圏で起こったら、と考えるとゾッとするものがあります。
首都圏で大地震が発生した場合、その被害は新潟県中越地震とはくらべものにはならないでしょう。人工透析や人工呼吸器などで生命を維持せざるを得ない障害者の人たちへの影響が、非常に懸念されます。
しかし、このようなときにどのように対応したらよいのか、という情報が、行政などからはほとんど発表されていない様子。長岡の病院も、結局、自分で苦労して探し出したそうです。

十日町市は、国内屈指の織物工業の町でもあります。
私の父方の親戚も会社を経営しているのですが、経済産業省が小千谷市と取り違えて「多大な被害のために、全く操業再開のメドが立っていない」と発表してしまったために、思いもかけない大迷惑をこうむったそうです。
実際には、幸いにしてほとんど影響がなく、織物産業への影響は最小限にとどまっている、とのことでした。

いずれにしても、情報が混乱している、あるいは、正しく伝えられない・全く伝えられない、という状況があるようです。
ただ、いわゆる「隣り組」としての町内会組織が発達している地方(豪雪地帯のためにお互いに助け合わなければならない、ということがその背景にあります。)でもあることから、今回の地震ではその機能が幸いし、一致団結して支えあい助け合っている、とのこと。
これは、他の地方でも今後の防災対策のために大いに参考にすべきだ、と強く思いました。

そのほか、障害者の状況をいろいろ調べてみました。
特に深刻なのは、自閉症児を抱えている親御さんたちだそうです。
地震をきっかけにしてパニックが頻発するようになり、とても避難所にはいられない…。
自家用車の中での連泊を余儀なくされていたり、あるいは、親戚や兄弟などを頼って転居せざるを得ない、という状況とのことでした。
これは、実に考えさせられます。
今後、発達障害支援法などでも、きちんと考えてゆくべきではないでしょうか?
一方、障害者施設のほうですが、関係団体などの連携によって、とりあえずは何とかやりくりできているそうです。但し、もちろん、非常に厳しい状況には変わりありませんが。
なお、痴呆性高齢者の方も非常に厳しい状態に置かれていて、やはり避難所にはいられず、壊れかけたグループホームに戻らざるを得ない状況に追い込まれている方も多いそうです。

私自身、重い聴覚障害を持っています。
和田さんと同じく、地震や火事などを「音」で察知することが全くできません。
自宅にいるときはもちろん、外出先(特にホテルや旅館)でそのような災害に遭ってしまったら、と考えると、正直言って、実に不安なものがあります。
しゃろおむ(妻)もそうかもしれません。下肢障害を持っており、機敏に避難することがむずかしい状況です。
天災は避けようがないとは思いますが、障害者にとってハード的にもソフト的にも少しでも優しい社会を作っていただけたら、たとえ被害に遭ってしまったとしても、その影響を最小限にとどめることができるのではないか、と思います。
とすれば、バリアフリーを考えてゆく上で、今回の地震の教訓は決して小さくないような気もしました。

記事「新潟県中越地震(1)」への、たくさんのコメント&トラックバックをありがとうございます。
個人的にも多くのメールをいただき、また、NHKの福祉番組担当ディレクターの方からは問い合わせのメールもいただきました。
たいへん申し訳ないのですが、今回の記事をもって、お礼とコメントに代えさせていただきたいと思います。

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新潟県中越地震(1)

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